奴隷という例えが多いのですがなにを想起しますか


哲学書にはやたらと「奴隷」という言葉が多くでてくるように思います。


普段の生活の中では、SM趣味でもない限り「奴隷」という言葉はあまり使わないと思いますが、哲学書にはやたらとでてくるので奴隷という単語が身近に感じてしまう不思議。

せっかくなので、奴隷にまつわる引用をひとつ。

「賞賛を求めて一喜一憂するのは、他人の意見や思惑の奴隷でいることにすぎない(ショーペンハウアーの超訳)」

もとの文章は長文だったので、超訳verです。


他人の価値観をご主人様として、他人を気にし、他人に嫌われないよう機嫌をとったり媚びた言動・行動をとるいう意味では、顔色を伺いつづけるのは奴隷的ともいえますね。 

「自分は奴隷ではない」という一見当たり前のマインドを常に持ち続けることも大切なのことなのでしょう。他人軸にの評価を委ねる前に、自分の中で絶対的な自信をもて!という意味でもありますが、他人軸の相対評価に慣れてしまっている私たちには他人の評価を気にするということは癖のようになっているのかもしれません。

けれども所詮は他人軸。他人がいないと出来ないこともありますが、まずその前に自分の中できっちりと自信や信念を構築する必要があるのでしょうね。

こういう意味の奴隷は(サドのSはスレイブのS。マゾのMはマスターのM。というのを臨床心理士の矢幡洋先生のご著書で読んだ気がします。うる覚えですが。)SM趣味的な奴隷とは意味が変わってくるので、今一度認識済みだと思っている言葉の意味を考え直してみるのもいいものですね。


※やっと手に入れたまぐまぐちゃんのぬいぐるみ。写真と本文は一切関係ありません。w



■毎週更新mine連載「原田まりるのやわらか哲学」はじめました。ハッシュタグ #やわらか哲学

■ 現在四刷!実存主義哲学入門エンタメ小説「ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」(ダイヤモンド社)

■ 初心者大歓迎!飲茶×原田まりる×堀田純司の哲学作家3名による、オンラインサロン「この哲学がスゴい!〜ケンカしない哲学交流ラウンジ〜」