綺麗な嘘で重ね着しない、という本質主義からの脱却

新しい著作企画の打ち合わせで「euro beat」の話題がでた、本日。

ユーロビートとはいわゆるパラパラ(死語?)を踊る的な曲調の音楽のことで、私のバイブルでもある走り屋マンガ「頭文字D」のアニメ挿入歌でも用いられている、大変ノリがいい曲です。

そんなユーロビートの話になったので久しぶりにWinkがカバーしている「Jive into the night」という曲を聴きました。この曲の歌詞が実に実存的で歌詞に「綺麗な嘘で重ね着したくない」とか「モラルの閉じ込められて 大事などこかに捨てないで」とかでてくるのですが、「モラル」や「綺麗な嘘」というのはいわゆる体裁のことで体裁を重視して自分自身の本心に刃向かうというのは、実に本質主義的な生き方ともいえます。

本質的な生き方というのは「あらかじめ成り立っている正解に沿って生きる生き方」であり、本質的な生き方には自分自身の本心よりも「目指すべき正解」を重要視するというもの。体裁を重んじて生きる、ということは正しいものとされていますが、一度きりの人生の中で自分自身の本心よりも重要視するものか?といえばそうともいえないと、私は考えます。

これはニーチェが「善いという価値観は、それが善いとしたほうが都合がいい人たちによってつくられた架空の価値観」と警笛を鳴らしたように、本当にいいものかどうかというのは他人からインストールされや受け売りであっては意味がなく、自分自身で解釈し納得する必要があるようにも思います。


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