Twitterにて、「恋人とは同じ趣味をもちたいか否か」というアンケートを取ってみました。
たくさんの方にアンケートにお答えいただけました結果はこちら。
趣味が同じ人を恋人にしたい派…68%
趣味が同じ人を恋人にしたいと思わない派…32%
回答人数:937人
圧倒的に趣味が同じ人を恋人にしたい派が優位!!!!
まぁ私のフォロワーさんなので「オタク比率」が高いだろうと踏んでいたこともあり、
聖域に踏み込まれたくないというオタクの性質から考えて「趣味が同じ人を恋人にしたいと思わない派」が勝つのでは!と思っていたので予想外の結果でした。
そして……私は「趣味が同じ人を恋人に思わない派」なので、その気持ちについて考えてみました。実際に同じ趣味を持つ人と付き合ったことはないし、付き合いたいとも思ったこともありません。だって……
「議論」と「関係性」を同居させるのは難しいと思うからです。
例えば、同じ映画をみて恋人と感想を言い合うというシチュエーションではバツの悪さが残りそう、だと思うからです。
どういうことかと言うと「どちらのほうが深く物事を捉えているか」という点において勝敗がついてしまうのではないか!?と懸念してしまうからなんですよ。
同じ趣味においての、知識量だったり、視点の鋭さだったり、論理性だったり……議論を楽しむ上で楽しめることを
恋人とは全然競りあいたくねぇ!!!ハムスターの写真とかみて「ちいさくてかわいい〜」とか言いあうだけでいい!!
つまり恋人に関しては知識や考察面で勝ちたくもなければ、負けたくもなく、そもそも勝負したくもない!!!!という意識が働いてしまい「円滑な関係性」を重視するあまり「議論」を楽しめないモードしてしまうんですよね。
友達同士だと
友人「あの映画ラストのシーン蛇足だろ」
私「いや、あの無駄な時間で余韻を持たすのがあの監督の作風じゃん」
というように率直に意見を交わすことができるのですが
恋人関係にあると
恋人「あの映画あのシーン蛇足だろ」
私「いや、あの無駄な時間で余韻をもたすのがあの監督の作風じゃないかなー?(ああ、バツの悪さがのこる、、、)」
という気持ちに陥るからです。
「そんな気を使い合う関係なんて真の恋人同士ではない!!」という硬派な意見もあるかもしれませんが、気を使い合う関係下でしか「異性」と認識できない、という距離感ってあると思うんですよね。
フィリアやストルゲ(友愛)が「異性としての魅力」に反映されない、もしくはフィリアやストルゲが確立されてしまったら「異性」としてみれなくなる、という人は32%の人なんじゃないのかな、と思いました。フィリアは色褪せないけど、エロスは色褪せやすい。色褪せないためには距離感が必要なのです。
ユーリ!!! on ICEでヴィクトル(cv諏訪部順一)がエロスについて語っていたシーンがあったのですが、ヴィクトルとはこんな議論したくない。ただ、関係性を壊さないように相槌を打ち続けていたい、と夢想しながら……。
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