久しぶりのブログとなってしまいました。
8/24みずほ総研さんが主催されているFORUM-Mという経営者向けの講演会に登壇してまいりました。
お話した内容は「ミッドライフクライシス」と「哲学」について。
ミッドライフクライシスは男性は42、女性は33歳ころに訪れる一種のアイデンティティークライシスです。(厄年あたり)
「婚姻の問題」「仕事の問題」「親の問題」そして「自分はもう男性・女性としてイケてないのでは?劣化してきれるのでは?」という葛藤からおこる思春期ならぬ思秋期です。
ミッドライフクライシスはそういった内面の変化によって行動にも急な変化が訪れます。
例えば…いきなり離婚を切り出すとか、不倫に走るとか、若者文化をいきなり取り入れだしたり、SNSでいきなり自分をアピールをしだしたり、いろんな「迷走」が始まります。
そんなときに心で繰り返すのは「俺の人生ほんとうにこれでよかったのかなぁ」「まだやり残したことがあるんじゃないかなぁ」人生を惜しむような言葉です。
人生の瞬間を切り取れば「あれもこれも」は難しい、とわたしは思います。
例えばよく思うのが髪型。
私は髪型にこだわりが強いほうなので、わりと頻繁に髪型や髪色を変えます。
25歳くらいからは基本ベースは切りっぱなしボブで、黒髪〜金色〜銀色〜グリーン〜インナーハイライトで緑をいれたり〜インナーだけショッキングピンクにしたり、紫にしたり、いまはまた金髪に戻しましたがいろいろな髪色を楽しんでいます。趣味みたいなもんですね。
そんなときふと思うのです。
「私の20代〜30代は髪色を変えてわりと自由なファッションをしているな」と。
つまりその時期に、一貫してサラサラ黒髪ロングでコンサバなファッションをしている可能性もあったのですがそうはしなかった。「一貫したファッションを貫く」という選択肢ではなく「自由にファッションをコロコロ変える」選択肢を選んだな、と。
これは後悔ではありません。ただ私の20代〜30代は「自由にファッションを選ぶ」生き方で規定されているのです。つまりもう戻らない過去はそのときに選んだ選択肢によって規定されているのです。
当たり前の話なんですが、規定されるという裏側には「選ばなかった可能性」が隠れているわけです。
これは髪型だけでなく職業も一緒です。
あれもこれも選んでいるようでも、大筋ではひとつの選択肢を選んで生きている。
ころころ変えずに一つの選択肢を大切に貫いてきた人ほど「こんな可能性もあったよな」という捨てた選択肢に対して、思いを馳せることもあるのではないでしょうか。
そうした「過去の可能性」がつもりつもって起こるのがミッドライフクライシスです。
9/30日に発売となる「哲学手帳2018」(扶桑社)も11月に発売となる新刊(ポプラ社)もそのようなミッドライフクライシスに陥らないために「わたし自身」と向き合える内容、というのを重視して作りました。ゲラが上がったらどんどんしていきますので皆様ご期待くださいませ。
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