【ララランドが実にサルトル的だった】
映画ララランドをみなさまご覧になりましたか?
今日見に行ってきたのですが、内容がものすごく哲学者・サルトル的&エニアグラタイプ4的でした。この感動を誰かと共有したいと思いながらも、周囲でまだ見ている人がいなかったのでこうしてブログに書くことにしました。
巷では「映像が綺麗!」ということを評価されているようですが、そうではない感想を持つ人もたくさんいるんではないのかな?と思いました。
私は映像やストーリーはよくわかりませんが作品の「テーマ性」にとても惹きつけられました。
ラ・ラ・ランドは「ジャズ」と「夢を追う男女の恋愛」がテーマとなっているのですが、
それらが「人生における偶然」「パラレルワールドに思う喪失感」のメタともなっています。
ラ・ラ・ランドはジャズがテーマとなっているのですが、
まず「ジャズ」前提としてはトランペット、ピアノなどがそれぞれに独立してアドリブ演奏していて、徐々に他の楽器の演奏に歩み寄っていくという演奏スタイルなようです。
※ようするにパワーゲーム的要素がある
ララランドは、この「ジャズの演奏スタイル」が「人間関係」のメタとして登場します。
主人公の女性は女優として成功することを夢としており、男性はジャズピアニストとして成功することを夢としているのですが、この男女はジャズでいうところの楽器です。
「それぞれに独立しているけど互いに影響しあい、自分のスタイルを変容していく」ジャズの演奏スタイルと、互いに影響を与え合う人間関係においての類似性が際立つように描かれています。
それぞれがそれぞれとして人生を送(音を奏で)る中で、互いの影響をうけ歩み寄り自身のスタイル(生き方or音)を変えていく。
という共通点があります。
このようにジャズを人生や人間関係のメタとして描いた哲学書があります。
哲学者・サルトルの「嘔吐」です。
嘔吐の主人公のロカンタンが「偶然のアドリブの一音一音が連なり必然となる」とジャズを聴きながら、人生を思うシーンがあるのです。
偶然の積み重なりは必然のように現在となります。
しかし偶然が積み重なっていく中には「偶然起らなかった未来」というのも存在します。
偶然起らないとはどういうことか。
例えばタイミングであったり、少しのズレであったり、熱意が冷めることがあったり、「起こる可能性は十分にあった」と自分でも思いながら「偶然起らなかった未来」です。
起らなかった未来は、いま手元にないのですから「起こっていただろうけど、失ってしまった未来」「選べただろうが選ばなかった未来」として「喪失感を掻き立てられるパラレルワールド」として自分の胸を時にくすぶるでしょう。
「あの時こうなっていたら良かったのになー!」と言うあっけらかんとした願望や後悔ではなく「起こる可能性を捨てる選択をしたのは自分自身だ」と物悲しく「起らなかった未来」を供養するような気持ちが描かれているところが、非常にエニアグラムタイプ4的でした。(※エニアグラムタイプ4の象徴的な感情は喪失感)
感情や信念にどんなに純度を保っていても、圧倒的な現実に押し流されてしまうことは生きている中で多々あります。
世の不条理や無常という言葉で表してしまうと、それまでかもしれませんが、その時の純度の高い気持ちを保管したり、供養することが私の創作意欲の90パーセントだとよく思います。
別に自分が体験したことであろうとなかろうと関係なく、砕け散ってしまった純度の高い感情の保管と供養のことをよく考えています。
なぜこのようなことに興味があるのかわかりませんが、ラ・ラ・ランドはそのような純度の高い感情、喪失感、人間などがテーマになっていてとても胸を打たれました。あースッキリした。
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