哲学サロンではいつも読書会を開いているのですが、今回は趣向をかえて
「哲学科あるある」について話し合いました。
自分で考える練習 毎日の悩みを解決できる「哲学思考」という新刊をだされたばかりの哲学者・平原先生も来ていただき、
「哲学科は就職難とかいわれるけど実際どうなのか?」
「なにきっかけで哲学科に入ることになったのか」
などについて話し合いました。
今回の座談会は、ある作品を作る上での取材を兼ねて開いたのですが、みなさん思い思いに発言していただき新しい発見がありました。
「哲学科は就職難とかいわれるけど実際どうなのか?」
に関しては、「哲学科出身」だから就職活動で落とされる、ということではなさそうで
「哲学科に進学する人はそもそもモラトリアム期を魅力的に感じており、就職に関して関心が薄い」
「哲学科に進学する人は、たわいもないコミュニケーションを楽しむよりも、自分のペースで物事を楽しみたい人が多いので、コミュ力高い率が低め」
などの意見が出ました。
この「モラトリアム期」に関しては確かに大学生くらいの時に色濃く違いが出るな、と思いました。
高校生のみなさんにこの「モラトリアム期」の意味を説明すると、
「モラトリアム期」…社会人になるまでの猶予期間。肉体的に大人ではあるが社会的責任を免れている猶予期間。みたいな意味。になります。
大学生時期はまさにモラトリアム真っ最中。この時期に
「ああ、はやく社会に出てバリバリ働きたいぜ!」と感じる人もいれば
「就職したくない、まだまだ自由な時間を楽しみたい」と思う人もいます。
私自身はバリバリ後者でした。高校のころから「髪色を黒くするのがいやだ、就職活動はしたくないなぁ」とよく考えていました。
そんなころに聞いたB'zの「ザ・ルーズ」という曲の歌詞に感銘を受けたりしました。
(※みんな就活はじめてるけど、まだまだそんな決めれないよー!自分のペースでいまを楽しませてよー!だって大切な大切な僕の人生の時間じゃん!)みたいな歌詞です。
社会とどのくらい関わるか、ということに関しては差異があっていいように思います。
「当然の大人像」(何歳になったら就職して、何歳になったら結婚して、何歳になったら家を買って)みたいな規定の価値観と自分の考えにズレが出てきた時に、自分がなにを優先するのか、どこなら妥協できるのか、を明確にすることで自分の価値観がはっきり自覚できるのではないかな、と思いました。
↓モラトリアム期のいい大人たちで記念撮影しました。左:飲茶さん 中:平原先生
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