【ブログ】不倫ドラマ「あなそれ」とキルケゴール(ちょっとカント)について。

最近打ち合わせなどでも「あなそれ、すごい面白いですよー!」という感想をきく機会が何度かあり、先日初めて見てた。

正確にいえば、ドラマではなく漫画で読んでみた。

説明不要かもしれないが「あなそれ」とは「あなたのことはそれほど」といういくえみ綾先生の漫画である。


「2番目に好きな人」と結婚した主人公の三都(女)が、ある日「初恋の相手」だった有島(男)とバッタリ再会して、不倫関係に陥るという話。

三都も有島も結婚しているので、W不倫ということになる。

イケメンキラキラ系男子の有島は、モテる人生を送ってきたのだが、奥さんは意外と地味。

感情に振り回され感情的な主人公とは違い、静かに自立したタイプの女性であり、このあたりのディティールが異常にリアルである。


まぁ、作品の展開はいろいろあるのですが、自分として思ったことをまとめてみる。

この作品の命題はなんなのか、と考えてみたのだが


「どちらにしろ満たされない」ということなのではないかという結論に行き着いた。


で、ここで思い出したのがキルケゴールの有名な言葉で

「結婚せよ…君はそれを悔いるだろう。結婚しないでいたまえ…君はそれを悔いるだろう」

というもの。これは「あれか、これか」というキルケゴールの著作に書かれている。

この言葉は、「結婚生活って辛んだぜー!」的な言葉ではなく、「選ばなかった選択肢は、捨てた可能性として消滅した後も息づく」というようなもの。

ようするに、選ばなかった可能性は「後悔」という名の亡霊となって、自分に取り憑いてくる。

何かを選ぶ、というのは何かを選ばなかった、ということ。

可能性があるって、じつは「自由な中から不自由さを選択する」状況ともいえるのだ。

三都は「2番目に好きな人と結婚」した。つまり「1番好きな人と結婚」しなかった。なので、三都が抱えるもうひとつの可能性は「1番好きな人と結婚」と明確である。

しかし有島は「1番好きな人と結婚」した。

有島には他の選択肢はないように思えるが、可能性とは無数にある。結婚しない選択肢もあれば、奥さんと知り会わずに他の子と結婚した可能性だって微レ存でも、なにかのタイミングが違えば、どこかにはあったかもしれない。


つまりまとめると、

「2番目に好きな人と結婚」しようが「1番好きな人と結婚」しようが、「満たされない」ものは満たされない。そんなものは環境や外的要因でみたされるもんじゃねー!!!


ってことが、


がこの作品のテーマなのかな、と思った。


もはや「2番目に好きな人と結婚したほうがいい」とか「安定した収入がある人を最後は選んだほうがいいとか」結婚にまつわるジンクスは、幸福になるための金言でもなんでもなく、システムマニュアルのように受け取っても無駄な裏切りを感じるだけなんじゃないだろうか。

結婚をシステムだと受け取っているのであれば、こういったジンクスや条件によって叶えられる環境はあるだろう。

しかし、主観的な幸福や、自分の孤独感を癒すためといった、曖昧なものを満たすためにはジンクスは有効ではないのだろう。

カントが「成人なのに、自分で考えずに他人に答えを求めようとする精神の状態」を「未成年の状態」と呼んだのだが、結婚においても「未成年の状態」でいては自分にとっての幸福の形をとり違う。自発性がないのに、条件によって幸福は得られない。ということなのかと考えさせられた。


追記:三都の旦那の独善的な口調も「非本来的な絶望状態(自分では絶望していると気付かずに絶望している状態)」に感じた。